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2017年12月27日 vol.267 【週刊MARUMERU】 そばとだいく

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┗━━━┛2017年12月27日 vol.267

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そばとだいく

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1  印刷の豆知識 第108弾 印刷の歴史 その3

2 日本では年末になると、なぜ「第九」?

3 年越しそば

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週刊メールマガジン「まるメル」では、
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2017年の「まるメル」最終便です。

皆さんにとって、2017年は、
どんな一年でしたでしょうか?

年の初めに決めたことは、できたでしょうか?
なにか新しいことを、はじめられたでしょうか?
日々を大切に過ごせたでしょうか?
などなど、今日を含めて残り5日、
一年ゆっくり振り返ってみようかなと思います。

次回、お会いするのは2018年ですね。

それでは、今週も「まるメル」vol.267をお楽しみください。

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【 1 印刷の豆知識 第108弾 印刷の歴史 その3】
 
グーテンベルクが発明した
活版印刷技術は、当初から
ほぼ完成された高い技術であったため
急速に発展し普及しました。

その後、大量の本の印刷が始まります。

ところで、活版印刷に
必要だったものが4つあります。
一つ目は、「紙」。
二つ目は、「金属活字」。
大量の本を作るには、何度も使える
丈夫な金属活字が必要でした。
中国に比べ、ヨーロッパでは、
文字の数が少ないため、
活版印刷技術が発達しました。
三つ目は、「インク」です。
木版用のインクは、
金属活字向きではなく、
すすを油で練って作った銅版画用の
インクが利用されました。
四つ目は、印刷機。
平な版を使って、印刷物を
大量生産するには、判子のように
強い力で「版画」のように一度に
紙に押し付ける必要があります。
当初の印刷機は、
木製で手作業でした。

グーテンベルクの発明後、
活版印刷は、ドイツから、
イタリア、フランス、オランダ、
そしてイギリスとヨーロッパの中を
発展しながら伝播していきます。

やがて活版印刷技術において、
1814年には蒸気による
動力を得た印刷機が、
1868年には、輪転式印刷機が
いずれもヨーロッパで開発されました。
印刷機が動力を得ることで、飛躍的に
生産効率があがることになりました。

ところで、日本の印刷は、
どうなっていたのでしょう?

西洋式活版印刷術は、
1582年に九州のキリシタン大名の
子弟である天正遣欧少年使節団によって
1590年に伝えられ、翌年には
国内活版印刷第一号が印刷されました。
しかし、この印刷技術は、1614年の
キリシタン大禁令により国外追放となり、
西洋式金属活版印刷技術は
途絶えてしまいます。この技術が、
日本にそのまま定着していたとしたら、
日本における印刷技術発展の歴史は、
大きく変わっていたでしょう。

さて、再び欧州。
活版印刷が隆盛を誇った16〜17世紀には、
欧州で科学技術が発達。
星の観察や微細な世界を見ることが
できるようになり、その表現に適した
印刷方式として、銅版による
凹版印刷が登場します。
銅版に直接絵柄を彫刻し、
それを版として印刷する
エングレービングが行われ、
その後、銅版を腐食する
エッチングが普及し、
多くの書物に挿絵として
挿入されることになります。
凸版印刷である木版や活版印刷に続き、
凹版印刷であるエングレービング、
エッチングが発明され、
次に、1798年ドイツの
アロイス・セネフェルダーにより平版印刷の
石版印刷(リソグラフィー)が
発明されました。
石が版の材料であり、
凸でも凹でもない平らな版で印刷をするという
これまでにない技術は、図版を製版して
印刷するのが非常に簡易であり、
美しい再現性を持っていました。
これが、後にオフセット印刷となり、
現在の印刷市場を席巻することとなります。

その4に続きます。
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【 2 日本では年末になると、なぜ「第九」?】

日本の年末の風物詩と言えば、
クリスマスソングと並んで聞こえてくる
「歓喜の歌」のメロディ。
ベートーヴェンの「第九」
(「交響曲第九番ニ短調作品125」正確な表記は、
シラー作の讃歌「歓喜に寄す」による
終末合唱を持つ交響曲)は、1824年に
音楽の都ウィーンで初演されて以来、
人類共通の芸術と称されるほど
親しまれてきました。

「第九」初演当時、
54歳になっていたベートーヴェンは、
以前から難聴に苦しんでいて、
「第九」の作曲時は、ほとんど耳が
聞こえていなかったそうです。

さて、「第九」と言えば、
第4楽章の「歓喜の歌」がシンボル…
のようですが、その前に演奏される
第1楽章から第3楽章、そして、
「歓喜の歌」に続く第4楽章の後半も、
ベートーヴェンが、私たちに残した
重要なメッセージと言えます。

嵐のようにドラマティックな第1楽章、
神々のダンスを思わせる第2楽章、
世界の調和を音楽にしたような第3楽章と続き、
第4楽章は、新しい社会への期待です。
第1〜第3楽章までを軽く否定しながら、
「私たちの音楽はこれだ、さあ歌おう」と
始まるのが「歓喜の歌」です。
その後、歌われる友愛や勇気も
感動を呼びます。

欧米各国では、終楽章に
「歓喜の歌」を持つ「第九」は、
祝典や歴史的な行事の際に演奏されます。
特別な機会に「第九」を演奏することはあるものの、
年末だからとあらゆるオーケストラが、
演奏するものではなく、
年末の風物詩となっているのは、
わが国だけの現象のようです。

日本で初めて「第九」が鳴り響いたのは、
1918年6月1日、徳島県鳴門市にある
坂東俘虜収容所でのこと。
演奏を行ったのは、第一次世界大戦で
日本軍の捕虜となったドイツ兵たちでした。

その後、日本で年末の「第九」が定着した
由来は諸説あるようですが、
次のふたつが有力な説のようです。

(1)
1943年12月に上野奏楽堂で行われて
学徒壮行音楽会で「第九」が
演奏されたことに由来する説。
学徒出陣で卒業を12月に繰り上げた
学生たちの壮行会で「第九」の
「歓喜の歌」が流れました。
戦後、生還した学生たちが再び
12月に「第九」を演奏し、帰らぬ
仲間たちを追悼したそうです。

(2)
戦後貧しかったオーケストラが
年末の臨時収入を期待して
「第九」を演奏したことに由来。
人気曲「第九」を演奏すれば、
多くの聴衆が集まりました。
さらに「うたごえ運動」を背景として
合唱が盛んになった時代、
アマチュア合唱団が「第九」を
歌い始めます。
アマチュアコーラスならば
コストも抑えられ、
メンバーの家族や友人が訪れ
チケットが売り切れることも。
こうした状況が功を奏し、
年末の「第九」が
定着していくことに。

これらの理由に加え、
「第九」が醸し出す崇高にして
華麗な雰囲気が、師走に日本人が寄せ
る感情に合致したことで「年末=第九」の
図式が定着していったようです。

余談ですが、オランダのフィリップス社と
ソニーで共同開発されたCD。
その記録時間に関して、
開発途中の1980年当時、
両社の間で論争があったようですが、
ソニー副社長の大賀典雄氏が、
名指揮者カラヤンに相談すると
「ベートーヴェンの「第九」が
一枚に収まる規格がいい」との
返答があり74分前後になったという
話があります。
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【3 年越しそば】

大晦日、紅白歌合戦を見たりしながら
食べる「年越しそば」。

なんとなく「縁起がいいから」と
思って食べてきましたが、
どのように縁起がいいのでしょう?
これまで、あまり深く考えたことが
ありませんでした…。

年越しそばの歴史は古く、
鎌倉時代からあったとされています。
博多のお寺で年を越せないほど
貧しい人々に「そば餅」を
振る舞ったところ、
翌年から「そば餅」を食べた人々の
運気があがったことから、
「そば餅」を食べれば
よいことがあるといって
毎年食べるようになったのが
始まりとされています。

そして、年越しそばを食べることには、
さまざまな意味や願いがあります。

「長生きできるように」
おそばのように、
細くて長く過ごせることを
願って食べられます。

「今年一年の厄を断ち切り、
新年を幸運で迎えられるように」
おそばは、他の麺類に比べ切れやすいため、
今年の苦労や不運をきれいに切れ捨てて、
新しい年を迎えるために食べられます。

「金運があがるように」
昔の金銀細工師は、細工で
散らかった金や銀をそば粉を
使って集めていました。
そのため「そばで金を集める」

「そばを食べると金運があがる」
とされています。

「来年の無病息災を願う」
そばは風雨にさらされても、
日光を浴びると再び元気になります。
そのため、「そばのように何度も
元気によみがえるように」と
食べられるようになりました。
また、そばの実は
「五臓の毒を取る」と
信じられていたため
食べられるようになった
という説もあります。

さて、そんな年越しそばですが、
食べるタイミングで一般的なのは、
「晩ご飯の時や」「除夜の鐘を聞きながら」
というところでしょうか。
本来、年越しそばは、
「今年の不運を断ち切る」
「新しい年に向けて願いを込める」
などの意味合いで食べられるもの。

そのため、年越しそばを食べる
タイミングとしてよいのは、
「年が明ける前」です。
大晦日であれば、朝ご飯や昼ご飯で食べても、
年明け直前でもタイミング的としては
いつ食べても大丈夫ということのようです。

ちなみに、年越しそばを、
年が明けてから食べるのは、
「新年から運を断ち切る」
ことになるので、
避けた方がいいようです。

※地域によっては、大晦日ではなく、
元旦や1月14日に食べるところもあるようです。

最後に、年越しそばを残すと
金運に恵まれないとも言われているので、
お腹がいっぱいの時は、
あらかじめ少なめに盛ることを
考えてみるとよいようです。

さて、4日後の大晦日。
今年は、縁起のいい理由を思いながら
食べてみようかなと思います。

それでは、皆さん、本年も最後まで「まるメル」を
ご覧いただきありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

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〜丸屋庄兵衛のひとりごと〜

年越しそばですか。
庄兵衛の家では実は子供がそばアレルギーのため
年越しうどんです!
何とも間の抜けた話ですが、
結構命にかかわるのでシャレになりません。
ずーっと年越しそばにはご無沙汰しています。
まああまりそばが好物でないというのもありますが(笑)

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